東海道五十三次踏破の旅第24日です。
東海道完全踏破の旅秋編の開始です。
今年5月に東のゴールである日本橋に到着した我々は、西の最終ゴールである京都三条大橋に
向かって旅を再開します。まだまだ残暑は厳しいですが、9月最初の土曜日に出かけます。
名古屋宮宿の七里の渡し場跡には、昨年の5月にすでに歩いていますので、
桑名宿(七里の渡し場)からスタートします。
とにかくアプローチが短くなったので、気分的には随分楽になりました。
朝7時頃ゆっくり家を出ます。
車で湾岸自動車道を走り、湾岸桑名ICを降りて、桑名の市街地へ向かいます。
帰りの事を考えて桑名駅近くの市営駐車場に車を置きました。
スタート地点である七里の渡し場跡まで歩きます。
すぐ近くだと思って歩き出しましたが、2キロ程度あります。
しばらく歩いていなかった我々にとって、2キロはかなり長く感じました。
今日のスタート地点である桑名の七里の渡し場跡に到着しました。
堤防と水門に囲まれており、現在は船着き場としての機能はありません。
しばらく歩くと桑名城の堀跡を見ることできます。
桑名城は現存していませんが、堀の石垣が一部が残っています。
途中、「歴史を語る公園」なるものがあり、日本橋から始まり、公園内の歩道が東海道に
見立てられ、最後は三条大橋となっていました。
昨日まで三重県北部には大雨注意報が出ていましたが、雨の気配など全くなく、
青空が広がり、容赦なく太陽が我々を照りつけます。
家から持って来た500mlのペットボトルはもうほとんど飲み尽くしています。
今日は桑名宿から四日市宿までの1宿のみとします。
距離にして16キロ程度の筈ですが、暑さとの戦いになりそうです。
土曜朝の街道は、あまり人影はなく、歩いているのは我々だけです。
鍛冶町辺りはカクカクした細道が続きますが、東海道の案内標があるので、見落とすことなく
進めば間違える事はありません。
やがて国道一号線を横切り街道は古い民家の細道を進みます。
町屋橋で員弁川(いなべがわ)を渡ります。
東海道は近鉄名古屋線の伊勢朝日駅横の踏切を渡ります。
朝日町の民家が建ち並ぶ細道を進みます。
民家の細道が一瞬開けて、田園地帯が広がります。
遠くに伊勢湾岸自動車道の高架が見え、アンダークロスすると、
街道は再び民家の細道へ入って行きます。
伊勢湾岸自動車道の高架下の道路脇に大きな常夜灯を見つけました。
朝日川の朝明橋を渡ります。石でできた欄干で、古い橋の様です。
やがて街道は、三岐鉄道、JR関西線、近鉄名古屋線の踏切やガード下を進みます。
三岐鉄道の長編成の電気機関車が通過していきました。
富田の一里塚で休憩していると、近鉄のアーバンライナーが通過していくのが見えました。
鉄道好きには、ちょっと落ち着かない富田の一里塚です。
やがて街道は国道一号線と合流し、しばらく進みます。
国道沿いにある三ツ谷一里塚で少し休憩して、海蔵川を渡り、四日市の街へと入って行きます。
海蔵川を渡った先にあった国道1号線の393.7キロポスト。
日本橋から、もう少しで400キロです。
旧東海道は再び国道一号線から離れ、三竜川を三龍橋で渡ります。
四日市宿は目前です。
四日市の宿場に入りました。なが餅の笹井屋さん。
街道は、諏訪神社のアーケード通りを進みます。
この辺りは、こういった感じのアーケードの商店街がいくつもあるようです。
商店街の中に首が伸び~~~る。からくり人形を発見。
アーケード街が終わるとそこは近鉄四日市駅の駅前通りです。
今回はここで足を止めました。
次回は、この道を横断したところからスタートとなります。
なんと時間はまだ3時15分。とにかく早いゴールです。アプローチが短いのは本当に楽です。
この後、電車で桑名に戻り、車で帰宅したのは5時前でした
川崎から深夜1時に帰ってきた事を考えると嘘のようです。
とは言っても、まだまだ鈴鹿峠もあるし、冬に向かって日没はどんどん早くなりますし。
さらに、三重県は交通の難所ともいわれています。
三条大橋目指してまだまだ私たち家族の旅は続きます。
これからも私たち家族の旅を見守ってやって下さい。
■この日の道のり
■この日の歩行データ(歩数計で測定)
総歩数 36,613歩総距離 23.80Km
消費エネルギー 988kcal
※1日の歩数計の値です。実際の宿場間の距離とは異なります。
■利用した交通機関
伊勢湾岸自動車道 名古屋東IC~湾岸桑名IC
桑名末広駐車場~七里の渡し場跡(徒歩)
近鉄名古屋線 近鉄四日市駅~桑名駅
伊勢湾岸自動車道 湾岸桑名IC~湾岸豊明IC
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